なにがし

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本が、見つかった。 

2016/04/27
Wed. 21:41

何年か前に大量に捨てたつもりでいた本が、見つかった。

捨てたことは何となく覚えているが、いつどのくらいの本を捨てたのかよく覚えていない。
以前買った本が本棚に入っていないから、たしか捨てたんだろうなくらいの感覚だ。

断捨離とかそういうのの影響を受けたのかもしれないが、覚えていない。
おぼろげな記憶の中で、確かに小説を大量に捨てている。

高校時代から読んだ小説などがベッドの下の収納スペース半分くらいに
ぎっしり詰まっていた。それらをほぼ全てその時捨てていた。

読みたくなったらまた買えばいいし、一度読み終えた本を読み返したりしない。
そんな軽い気持ちだった。

その軽い気持ちが傲慢でしかなかったことを後に思い知ることになった。

また買えばいいと気楽に言えるほど金があるわけでもない。そもそも何だか昔より文庫本の値段が高い。それでも売っていればまだいい方で、出版不況だか何だか知らないが、絶版になっているのも一つや二つではなかった。断捨離とか言えるのはいつでも欲しいものが買える金持ちだけ。そういうことだ。

一度読んだ本は読み返さないという行為の根拠は、自分は一回読んだ本の内容はちゃんとわかっているし、それよりも一冊でも多くの本を読みたいからだ、と思っていた。
ところが、自分は本の内容が一回読んだくらいでわかるほど頭の良いわけでもなく、もちろん内容もさっぱり頭に入っていない、一冊でも多くの本を読みたいのもただそのほうがなんか頭がよく見えるという虚栄心からだ、という自分には都合の悪い事実を受け入れざるを得なくなった。

それを受け入れて初めて、自分の今までしてきた読書という行為のなんと空虚なことかと、絶望した。

それからはそれまでの字面を追うばかりの読書をやめて、しっかりと情景を思い浮かべ、ストーリーがわからなくなれば少し前を読み返して、としっかりと読書をするように心がけてきた。

そして自分の身の丈というものを実感した。
自分は自分が思っていたほど頭が良いわけではない。
それは私にとって自分の中身がほとんど空っぽになってしまうくらいの事実だった。

そんな時、ダンボール箱いくつかに分けて捨てたはずの本のうち、一箱が見つかった。
それは今日の昼間家を片付けていた時のことだった。春の暖かな日が家の中に差し込んできて、荷物をいくつも上げ下げしていた私の体をよけいに熱くさせていた。

その箱の中には、学生時代読んだ本の一部がつまっていた。学生時代の一部と言ってもよかった。戦争物、つげ義春、横溝正史、江戸川乱歩、宮本輝、などなど。内容どころか読んだことすら忘れていた。いや、読んですらいなかったのかもしれない。

今度こそ読もう。
そう思い、一冊の本を手に取った。
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